6 プライドはどこに?
彼に出会ったのはサナアに着いて二日目。スークの中をあてもなくカメラ片手に歩いている時だった。
明らかに外国人だと分かる私に話し掛けてくる者はたくさんいた。そのほとんどは「英語の練習がてら話したい」だとか、「いい土産を見せてやる」とかいう理由だった。ほとんどを無視していたが、なぜか彼のことは無下に断れなかった。もっとも、最初から完全に信用していたわけではなかったが。
彼の名はアブラハマン。
観光ガイドをやっていると言った。
「うーん、あやしい。」
数々の悪徳ガイドに出会ってきた私は、正直そう思った。
海外に行くと勝手にガイドをやって、つまり尋ねもしないことを勝手に解説して、料金を請求する輩がいたりする。この時も、そういったたぐいかと思ったからだった。
しかし、どうもいままで遭遇した悪徳ガイドとは違うようだ。執拗に話し掛けるわけでもなく、カートを頬張りながら淡々と私が聞いたことだけを話し、分からない時は周囲の者に尋ね教えてくれる。
2〜3時間をそうやって過ごした。スークの軒先にオレンジ色のランプが灯り始めたころ、彼のオフィスがあるホテルに足を踏み入れた。
ちょうど夕食の準備をしていたところへ飛び込んだ珍客をアブラハマンのボスは歓迎してくれた。
野菜や豆を煮込んだ料理、レバーを炒めたもの、もちろんホブスも山のように積まれたその部屋は絨毯が敷き詰められ、昼間の暑さが残る外とは違い、ひんやりとして心地良かった。
サナアに来て、人と取る始めての食事だった。
外国人向けドル払いのホテルに、旅行代理店を併設している。アブラハマン達ガイドは観光案内をするかたわら、手の空いている時にはホテルマンとしても給仕等の仕事にあたっているようだった。
ホテルのスタッフ達やボスと一緒にとった食事は、私にとって久しぶりの団欒だった。食後のチャイを飲み始めたころにはすっかりリラックスし、彼らとの交流は旅の緊張や疲れを癒してくれていた。
約束するともなく、翌日、またスークを歩いているアブラハマンに出会った。
私は、かねてから考えていたことを、彼に話してみた。
「ベドウィンと会って、写真を撮りたい。」
イエメンに来た目的の一つだった。
さらに、イエメン国内の移動について、入国前に調べていたのと現状の大きさの違いに対しての戸惑いも話した。
この時、私はかなり途方に暮れていた。
主要都市の移動はバスで可能だと聞いていた状況と大きく違っていたのだ。とりあえずバスは走っているが、外国人がそれを利用するのは事実上不可能だったからだ。主要幹線道路に設置された軍のゲートをパスするには、政府発行の許可書が必要だった。その上、それは外国人が乗車する車両に対して発行すると言う。
「バスに対して許可書を発行するってか?」
当然、そんなことしてくれるわけがない。
陸路がだめなら空路。だが、それを選択することはイエメン国内の殆どの土地をパスすることと同じだった。
アブラハマンは、すぐにプランを作ってみると約束してくれた。
正直に告白すると、この時、私はまだ彼を信用していなかった。文化的な背景の違いからくるすれ違いというものは、人間性の問題に関係なく発生する可能性がある。それを防ぐことにかなりの時間と労力を割かないと、結果としてだまされた、だましたといった感情が生じることになる。そんなことでイエメンという国や、この旅への印象を悪くしたくなかったし、日本人と初めて出会ったという彼をはじめとするイエメン人にも悪い心象を抱いて欲しくなかった。
その後の彼の行動は早かった。依頼した私が戸惑うくらいに。
プランが持ち上がってから、車やドライバー、ボディーガードの手配などをしても3日後には出発できると言う。
この仕事の速さ。かなりの手抜き仕事をしているか、ものすごく手馴れているか。私はこういった手配に手馴れたエージェンシーなのだろうという方に賭けた。
アブラハアンのボスは、その部下達曰く、地元の名士らしい。
ちなみに名前は、「アブドゥルカレム・カッセム」
実に覚えにくい名前。しかし、豊かなひげをたくわえ、茶色のサングラスを着けた風貌にこの名前は、その威厳を一層高めていた。
カッセムは国内の主な部族に顔が利き、多くの代理店が頭を悩ませている部族問題にも対応できるから安心だと、彼の部下達はことさらに主張した。
外国人を狙った身代金目当ての誘拐を山岳部族などがやっているという話はあった。もともと運を天に任せてのイエメン入りだったから、その時点ではあまり気にもしていなかった。だが聞きもしないのに話すのだから、誘拐事件は彼らにとって、仕事を脅かす一大事になっていることが容易に想像できた。
さて、そういったアブドゥルカレム・カッセムが名士かどうか、部族に顔が利くかどうかを確認する機会はやってこなかったが、イエメンにおいては尋常でない金持ちであることは確かなようだった。例えば、アブラハマンが勤めるホテルの他に、3つものホテルを経営し、初期費用が$800もかかるという携帯電話をかけながら、ランドクルーザーを愛車としているという具合だ。ほとんどの人々が仕事をしているのかどうかよくわからないような状況で暮らしている中、明日の食事を気にせず暮らせる数少ない人間の一人だった。
そんな彼に雇われているアブラハマンとドライバー、ボディーガードの3人と共にランドクルーザーに乗っての旅に出た。10日間で$1200。
このHPでイエメンのコンテンツを開くと出てくる地図上の地名を10日間でめぐるというものだった。
ドライバーの名はアリー。ボディーガードの名前は・・・。忘れた。
アリーの息子だった。まったく英語を話せなかったボディーガードの彼とは、時々アラビア語の単語をやり取りするだけだったが、それだけにお互いに相手の心境を察しようとする気遣いが、そこにはあったように思う。
アブラハマンはまだ20代前半で若かったが、ボディーガードの年齢は、確か40歳代だった。アリーの年齢は・・・、本人曰く、不詳。テロやなんやで観光業が安定しない彼等の収入はかなり不安定。このことからアリー親子がしきりに口にするのが、結婚できないという不満だった。その理由は収入が少ないと結納金を準備出来ないかららしい。
イスラムでは結婚する時に、男が女に結納金を提供する。蛇足だが、離婚の時も男は女にお金を支払う。これらのお金のことを「マハル」という。この「マハル」は結婚契約が交わされるときに、具体的な金額が設定される。離婚の時のマハルは結婚時のそれよりも、はるかに多額なものになるのが普通とされているようだ。
結婚相手の女性が働いていようがいまいが、生活費は男性の義務とされていることも考えると、確かにお金がないと結婚は出来ないという話になってしまう。
結婚に金が必要で、結婚生活の全ての費用も男性が払う。働く女性は欧米に比べると少ないが、いわゆるキャリアウーマンなる人たちもおり、それでも彼女たちは夫の収入で生活をしていると聞く。
そんなこんなの愚痴も聞きつつ、私たち4人は旅を進めた。その過程で気付いたことの一つは地域性の大きさの違いだった。
サナアなど北部の都市では女性が働く光景は、オフィスをのぞいてほとんど見かけなった。ところが、ムカッラなど南の都市へ行くと市場で野菜や果物を売るベールを被った女性の姿を見かけることが出来る。そのベールも北では黒一色だったものが、色鮮やかで模様が入ったりするのも新鮮だ。更に、女性の元気な会話を市場で聞けるのも解放的な南の空気を表現しているように感じた。
こういった雰囲気は、対岸がエチオピアなどのアフリカ諸国に面しているというのが大きな原因なのかもしれない。アフリカ人たちは、時には子船で食料、飲料を運んでくる。それら飲料の中にはアルコールも含まれていたりする。ウォッカやビール、ウイスキー。いくらイスラムの国であっても、開放的にならざるを得ないだろう。アブラハマンやアリー親子も海に面した土地が大好きのようだった。
漁業を主な産業としている都市、ムカッラには喧騒に満ちた市場があった。
少年から老人までが今朝取れたばかりの魚を砂浜に作られた市場で売っている。巨大なエイから判別のつかない小さな魚まで。きちんと屋根のある売り場に並んでいる魚たちもあれば、砂浜に山積みにされその場で競り落とされていく魚もある。
その市場の隣には野菜やフルーツの市があり、ここでは主に女性たちがその店主をしていた。徐々に日が高くなり気温が上ってくる中でも、ベールで全身を包んだままの彼女たち。私などは水片手にTシャツ姿でも不快に感じるのに、扇子であおぐくらいで、非常に悠然として、貫禄すら感じた。
ムカッラからサナアに帰る途中にラダという町がある。
標高が少し上ったからか、日中でも日陰で過ごせばあまり気温が気にならない土地だった。朝晩などはTシャツでは寒いぐらい。
夕食をとったレストランで厨房を見せていただける機会に恵まれた。
ホブスを焼く光景や、フライパンを振る調理人の姿を撮影。まさにさっきまで自分が食べていた料理を作っている彼らの真剣な表情に圧倒された。けっして近代的な設備のキッチンではないし、日本から比べれば衛生状態もきっと悪いだろう。しかし、手を抜かない手際のいい調理を見て、その美味しさの秘密を垣間見たような気がした。
このような仕事振りを見ることは、とても気持ちのいいことだし、それを撮影させてもらうことは大変嬉しい。しかし、その後訪れた町で出会ったイマームたちの仕事振りは、カメラを向ける気も失せるものだった。
イスラムの宗教的指導者をイマームという。
イスラムという宗教は、宗教上だけでなく、それを信仰する彼等の生活をも規定するものである。先に書いたけれど、結納金のことまでがクルアーンには書いてあるのだから。
こうなるとイマームは必然的に社会的にも指導者の立場にたつことになる。早い話が、宗教的にも社会的にも、とっても偉い人になるのだが・・・。
ある町のモスクを訪れた時、幸運にもイマームに出会えた。
その時は、幸運だなと、思っていた。
モスク内部や彼が暮らしているという部屋まで見せてくれて、随分簡素な暮らしをしていると思ったりして、話を聞いた。昔は豪奢な暮らしぶりだったと聞いていただけに、その質素さに妙に感心した。
だが、異教徒の私へのそのサービス振りが、いくぶん過剰なのではと思い始め、何か怪しいなと思っていたら、予想通りの展開が来た。
イマーム曰く、
「これだけサービスをすることはめったにない。これだけのモスクを維持するのはお金が掛かる。バクシーシュ。」
やっぱり。やっぱり「バクシーシュ」か。
「バクシーシュ」とは、彼等の感覚からするとおそらく「お礼」くらいの意味なのだろう。クルアーンには、「ザカート」という裕福に暮らす人が恵まれない人に果たす施しをイスラム教徒の義務として書かれてある。でも、クルアーンにも無く、頼みもしないことを勝手にやってお礼も何もあったものじゃないと思うのが、異教徒の当然の反応だと思う。ドアをさっと開けてくれて、お礼を言おうかと思うと「バクシーシュ」とくる。彼らにしてみれば当然の権利のようなのだが、この時はあまりの予想通りの展開に怒る気も無くし、その誇りのなさに落胆してしまった。
こう感じるのは、私が異教徒だからなのかもしれないし、彼等のこの行為は経済的にあまりに厳しいからだとの解釈も聞く。
信仰心があればお金が無くともなんてことは、これっぽっちも思わない。
かといって異教徒にも広く門戸を開放し、入場料なるものを徴収して豊かになって欲しいとも思わない。彼等の信じる宗教上の聖域を収入資源にまでしてもらいたくないからだ。ただ、イマームだけでなく、多くの国民が最低限の誇りを持って生きていけるぐらいに政情が安定し、経済が発展してくれればと思った。
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