4 アルコール
オレンジの街灯に浮かび上がる道を、タクシーが走り抜ける。町を見渡せる丘の上に、それはあった。シェラトンである。そう、あの世界的な一流チェーンホテルのシェラトンである。
明日から約10日間の旅に出ようとしていたその日、私とアブラハマンはアルコールを調達しようと計画した。
「夜の砂漠で昼の疲れを取るにはビールを飲まねば。」
「白いビーチからアラビア海を眺めつつ飲めば最高だろうな。」
こんな会話を交わしながらの始まりだった。
私たちが向かった先は、サナア・シェラトンのバーである。一流のサービスを提供するホテルにはバーが必ずあり、そして何よりもカードが使えるという利点がある。ここがイスラム国であることを考え、あらかじめ電話で確認するという念の入れようだった。
前後するが最初から話をしよう。アブラハマンの勤めるツーリズム・エージャンシーはホテルの中に事務所があり、彼はコンダクターでありホテルマンでもあった。そこに宿泊していたのではないが、彼と友人だった私は頻繁に出入りしていた。そこで朝食をとり、昼食を取り、時には夕食までご馳走になった。私の宿泊していたホテルよりも旧市街に近く、その中で顔の利く彼らは大変ありがたい存在だったからだ。
夕方そこを訪れた時、ビールはないかと私が聞いたのである。イスラム国でアルコールが飲めるとは最初から思っていない。しかしこの時は、私なりに考えてのことだった。ドル払いのホテルだし、宿泊客のほとんどがヨーロッパからであることを考えると、ひょっとしたらアルコールがあるのではと思ったのである。一縷の望みだった。機内で飲んで以来、一週間近く一切のアルコールを飲んでいないし、目にもしていないという緊迫した状態があったのも、そういった質問に至った理由の一つかもしれない。それにサナアで飲まなければ、地方都市に行って飲めるわけがないという独断と不安があった。
言っておくが、アルコールに依存している体質ではない。日本にいる時は「もう何日アルコールを飲んでいない。」とか、「いま飲まなければ、いつ飲めるかわからん。」というような脅迫的考えは浮かばない。ただ客観的にみて「よく飲むねー。」と、妙な感心をされる人間であることは認めるが、ここまでの心境になるのはイスラムの習慣が及ぼすプレッシャーだと思う。
いろいろ言い訳をしても仕方ないが、先のようなホテルの状況から浮かんだ思いを口にせずにはいられなかったということである。
そして、何とビールが出てきたのである。言ってみるものだと思いながら、口をつけた。美味しいのだが、何か違う。
「ノンアルコール・ビア」
ニヤニヤした顔でウエイターが言った。
うわさに聞いていたビール。「ドライしか飲まん。」とか「ラガーでないとね。」などと言っている日本人には、到底認められないであろうアルコールのないビールである。
ビールの定義というのはあるのだろうか。アルコールなしでもビールと言うのかと疑問が起こったが、ラベルにはビールの印字。ビール大国であるオランダの製品であったから、やはりこれもビールに違いないのであろう。
「やっぱり本物のビールが飲みたい。」
低地へ水が流れるように自然とこういう話になった。
そこで、冒頭に書いた騒動へとなるのである。
タクシーを降りると、なぜかものすごい警備。だけど私は旅行者、しかも日本人。パスポートを見せればホテルの一つや二つぐらい入れるだろうと思っていた。
ところが、ライフルに囲まれながら責任者らしき人とやり取りをした後、丁重に追い払われた。
「私は日本人でバーに入りたい。事前にシェラトンに電話して、OKをもらっている。」
いくら言っても無駄だった。前に書いたフォーラム。あれに来ていた政府要人と呼ばれる方々が滞在中ということで、宿泊カードなるものを提示しない者は一切入れないという説明。
日本国のパスポートが「百利あって、一害なし。」の証明のように扱われる昨今、珍しい体験だった。事実、ヨーロッパ辺りだとパスポートの表紙を見せただけで「万事OK」ということが多い。それも問題だと思うことも多々あったが、人は慣れるものだ。しかし、当然のことだが無理なものは無理。「関係者の皆様、本当にご迷惑をおかけしました。」と、今では素直に謝れるのだが、このときの私たちの心理状態は異常だった。
この後、あきらめ切れない私たちはタジシェバなど一流ホテルを訪れ、ボディーチェックまで受けてホテルに入り、バー自体が存在しないことを知った。
なおも未練を残した我々はブラックマーケットにまで赴き、躍起になってアルコールを探したのである。この時点で「アルコールであれば何でもいい。」といった恐ろしい発言をするようにまでなっていた。
大きな道路から脇にそれ、路地の奥に位置するカフェでエスプレッソをすすりつつ待った。このエスプレッソが、この地ではまた珍しいものなのである。モカという地名を持つイエメンは、日本でも有名なその豆の輸出国として名を馳せた時代があった。余談だが、「モカ・マタリ」もこの国の産出である。だが、市中のレストランやカフェでコーヒーを飲めることはまずない。これには様々は事情があるのだが、際限ないのでアルコールの話を展開して、コーヒーや他の嗜好品についてはあらためて書こうと思う。
そのような状況であったから、偶然であったコーヒーを口にしたことで、アルコールを渇望する気持ちは幾分和らいだ。しかし、アブラハマンはなかなか現れない密売人に業を煮やし、探しに出て行ったりしている。そして30分ほど待った挙句、もう深夜に差し掛かってきたので帰ろうという話になった。
この満たされない気持ちを何とか誤魔化すべく、酒の話をしながらトボトボと帰り道を歩いた。
その道中、先に書いたサナア郊外のワイン畑の話をしたら、その存在は暗黙の了解になっているらしいことが判明した。サナアのブラックマーケットで売られるワインのほとんどが、そこでの製造。もっとも、それを口に出来るのは一部の人々だけという現実もあるとの話だった。
一般家庭は豊かとは到底言えない。一家の長、もしくはその男子が家計を支えている場合がほとんどである。それでも仕事があるのは恵まれている証拠であるという。
だから多くの家庭では、イスラムの制約もあるが、アルコールを買う余裕などない。それでも飲みたいという人たちは自家製ワインを作る。作り方もアブラハマンから聞いたが、失念してしまった。日本の家庭で梅酒を作るのに似ていると思ったから、何かに漬け込むような話だったと思う。
そういった話を聞くと飲んでみたいと、酒に興味のある者としては思うのだが、アブラハマンに強くとめられた。
「慣れない者が飲んだら大変なことになるよ。」
日本にもたまにありますね、一杯だけなのにいつまでも尾を引く酒。思い出しただけで「金輪際、酒など飲まん。」と覚悟を決めたくなるやつ。きっとそういう酒だろうと想像し、この夜はホテルに帰った。
そこから話は飛んで、5日後。港町、ムカッラに我々はいた。
目の前にはアラビア海が広がり、漁業で賑わう港がある。白壁の建物が多く、女性の姿が目立ち、対岸のアフリカから来ている人種も多い。
太陽が我々の頭上にあった時、ムカッラに着いた。熱帯の湿気と殺人的暑さに根を上げそうになった。
ここまで酒の話はあえて避けていた。砂漠でキャンプをした時も、闇に沈んでいくシバームを眺めていた時も触れてはいけないかのごとくだった。
だからではないかと思うが、アブラハマンがアルコールを買えるかもしれないと言い出した。それを受けて、後の行動を素早く考える。
これだけ暑くては、写真など撮る気にもならないし、明日に備えてアルコールでも調達し、ゆっくりとクーラーの利いた部屋でくつろぐのがベストかも・・・。
到着した時よりもさらに圧迫感を増した空気が、体にまとわり付く。息苦しいほどだ。
そんな空気を掻き分けるようにして、黒人が多く居住するという区域を通り、山の稜線に建ち並ぶバラックが集合した地域にたどり着いた。
車がやっと通れるほどの道の両隅には自然に出来たように思われる溝があり、微かな湿気を残している。強い光で美しく輝く黒い肌をもった少年たちが、形を失ったボールを蹴る。道の窪みのせいで、方向を失ったそれは、僅かな日陰に腰を下していた私の前に転がってきた。
ほかの大人たちの視線も感じながら、子供に向けて蹴り返してやった。ちらほらと見える人影は会話をしているようだが、私の耳には届かない。緊張しているのだろうか。ブラックマーケットであることは聞いていたが、予想もしなかった静けさに言い知れぬ危険を感じた。
アブラハマンが人をつかまえ、交渉する。それを受けて何人かが走って消えた。上下左右から迫るハエを払い、チャイを飲みながら待った。
「俺はどうすればいい?」
自分の居心地の悪さに耐えかねた。
「心配するな。俺のボスとして座っていればいい。」
ガイドである彼やドライバーは私が雇っていて、旅の間は彼らのボスは私だと、以前も説明された。そうは言われても、こういうことに慣れない私は取るべき態度を決めかねていた。
チャイを飲んでいた私たちの前に、一台のセダンが止まった。埃で曇ったフロントガラスに蜘蛛の巣状のひびが走っている。セム系の人間が二人乗っている。
激しく車体を揺らしながら走る車の中で、酒の種類と値段の交渉を始めた。歩いているときには路面の悪さをそんなに感じなかったが、車中にいるとその劣悪さが良く伝わってくる。
「ウォッカ、1000YR。」
アブラハマンは横で頷いている。
こういう場合、料金の交渉というのはするのだろうか。場合というのは、つまり緊張感に満ちた、そしてなんとなく身の危険を感じる密室でという意味である。高いと言う気はないが、言い値で買うのも納得いかない。
「問題ないだろう!?」
どうやらアブラハマンにとってはアルコールが手に入ればそれでいいらしい。
ウォッカしかないというのも、いま一つ気に入らなかったのだが、体を張って交渉するほどのことでもないし首を縦に振った。
ある家の前に車が停車し、しばらく待たされた。行き交う人たち全員が私たちを監視しているような気がする。何らかの邪魔が入ればどうすればいいか。少しの待ち時間がやけに長く感じた。
包みを手にさっきの二人が戻ってきた。無事に受け渡しが終わった。ホテルまで送ってもらい、万事終了。
「怖かった。」
ボソッと、私の作ったスクリュードライバーを飲みつつ、アブラハマンが呟いた。
それにしては見事なポーカーフェイスだったと思ったりしたが、久しぶりのアルコールも手伝って、その日の成果に酔いしれた。
さらにタイズに到着した夜、宿泊先とは違うマーリブホテルにてビールを飲んだ。「アムステル。」オランダの有名なビールだった。ワイン、ウォッカについでビールまで飲めたことに妙な感慨があった。ホテルのバーにてタイズの暮れ行く街を眺めながら、終わりに近づいた旅を振り返ってアブラハマンとグラスを傾けた。
一種の総括というようなことを考える時、アルコールをおとなしく入れながらというのは、私の趣向でもある。このときも何の根拠もないのだが、このたびの締めくくりにビールを飲みつつ余韻を味わうのがふさわしいと感じた。旅を振り返り、人、出来事を思い出す。帰国後の生活を考え、区切りをつける。
日本にいるときはいささか飲み過ぎの感があった私は、イエメンはイスラム国だし、酒は飲めないから健康になって帰って来るよなどと言ったものだ。ところがどうしたことか、ちゃんとアルコールを飲んだ。もちろんその量は日本でのそれに比べれば、圧倒的に少ないが。
イスラム教徒も私と同じような欲求をもっていることを体験した。外から見る時、異質性ばかりが強調される彼らの生活からにおいを感じたということである。
最後に、敬虔なイスラム教徒の皆様に不謹慎な行動と感想をお詫びしたい。ただ、イスラムの教義を尊重したいが、アルコールをめぐって大変な親近感を持ったことも事実である。
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