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遥か、イエメン
1 到着初日
アジアの東端、日本から香港、バンコク、アブダビを経由。田舎の鉄道駅舎の気分を備えた空港ターミナルが、そこにはあった。
乾燥した空気、木造の内装、豊かなひげをたくわえた彫りの深いセム族特有の顔、顔、顔。ゆっくりとした時間の中に、それらは自然にあった。日本のエアポートとは明らかに違う空気。
パスポートコントロールを無事通過。"permit for one month"の印。
「滞在期間は入国時に決まるので、はっきりしない。」
出国時に告げられた言葉を思い出し、予想以上に長い滞在期間を得たことに安堵した。
ところが預けていた荷物を受け取った時、外側のポケットに詮索された跡を感じた。緊張が走り、私に張り付いていたゆっくりとした気分は消し飛んだ。
無くなったものはトラベルナイフ。
いくらかの海外経験から、注意するべきことはよく知っていたつもりだった。鍵を掛けていたとはいえ、バックパックの外ポケットに金目の物を入れていたのは失敗だった。なんとなく大丈夫だろうといった油断があったことを思い出した。
撮影が目的の旅だから大きな障害になることではないし、嫌な気持ちを抱え込んでしまったが、出来るだけ考えないようにしようと思い直した。
だが、これを契機に空港内の多くの兵士や、撮影禁止のマークなどが目に付き、この国が未だに不安定な状態にあることを思い出した。
漠然とした不安が湧きあがり、心が揺れたのもここまで。一歩空港を出れば、考える間もなく敵がせまってくる。
当面の敵は客引き。
「$10」と書かれたボール紙を持ったタクシードライバーをかわしながら、ダッバーブ乗り場を目指す。ダッバーブとは乗合タクシー、言わば小型バスといったもの。彼らタクシードライバーは「バス、高い。」と、私を取り囲む。
先進国と呼ばれない国へ行くと、よくある光景だが、いくら経験しても慣れない。イエメンでは英語だが、日本語でやられたひにゃ、張り倒したくなる。「そんなわけないやろー。」と、思わず関西弁が出るのも仕方ない。
決然とした態度で、時にはのらりくらり、彼らをかわしながら無事にダッバーブに乗り込んだ。
この連中が何とかしてくれれば苦労しなくて済んだのにと不満を抱きながら乗った車。それはミニワンボックスで、戸は閉めない。閉めたくても閉まらないのだが、頻繁に乗り降りをするので、その必要もないといったもの。
三菱などの日本車が多く、ドライバーは「どの国の製品よりも日本製が一番。」という言葉に満面の笑みを添えて私を見た。まるで私をほめているような表情。「確かに私も日本製品といえなくもないけど・・・」と思いつつ丁重に御礼を言った。
「アッサラーム。」
ダッバーブに代わる代わる乗り込んでくる人たちと挨拶を交わす。
自分でもわかるほどぎこちないアラビア語。それでも皆、何らかの返事をしてくれる。こういう時は正直嬉しい。初めて外国人と話した時もこうだっただろうか?はっきりとは覚えていないけど、そう感じる瞬間だった。
子供は興味を隠さず、私の顔をじっと見てくる。それはどの国を訪れても同じだが、この国では大人の男性までが私の顔を覗き込もうとする。
思わず視線を逸らしたくなる。どうやら私がこの国の人々の中に入っていけるには時間がかかりそうだ。
イエメンの首都であるサナアは、海抜2300mにある。もちろん乾燥しているが、比較的穏やかな気候である。気温も40℃や50℃といった殺人的な熱さにはならない。よって不毛の大地といった一般的なアラブのイメージとは少し違う。日本のように緑に覆われているといったものでは、もちろんない。しかし、街路樹があったりするだけで、従来のイメージを覆すに十分だった。
だが、その街路樹のある道路には窪みと言うよりは、穴と表現したほうが適当と思われるものが点在し、道路沿いには崩れかかった塀や建物が見受けられる。この国が遠くない過去に経験した内戦の傷跡である。
94年に落ち着きを見たそれは、その当時の世界的流れとってよいであろう社会主義の崩壊の一つだった。数年が経過したが、その影響は今日も色濃く残っている。
そういった内戦の名残の為、オフロード走行のような振動を受けざるおえない道路があったりする。そういった道を日本なら解体工場に積まれていそうな軽のワンボックスで走るのだから、その乗り心地はお世辞にも良いとは言えない。転がり落ちないように、しがみついていなければならないぐらいだ。
この国の名誉のために一言添えておくと、整備の進んでいるところではきれいに舗装された道もある。実際、私の利用した幹線道路は舗装済のすばらしい道だった。
それに現地の人たちは涼しい顔して乗っているのだから、慣れれば大した問題ではないのだろう。
とりあえず、町の中心、新市街にあるタハリール広場まで行った。三つのホテルを見て回り、料金600YRの宿にした。
イエメンの通過はリアルと言い、私が滞在した時は160YRが約$1だった。多くの後進国がそうであるように、この国もインフレに見舞われており、多くの現地人はドルを欲しがっている。その為、外国人向けホテルの大半はドル払いを求める。
つまり、リアルで払った私のホテルは現地人向けのものということ。でも、そのためにイスラムの習慣を感じることが多かった。
最初に気づいたのは、レセプションを分岐点にして女性と男性の利用する棟が分かれていることだった。男性の立場から言えば、ホテルの従業員のいるところを通らずに、女性用のスペースには行けないことになる。だから女性たちの姿は見えないが、賑やかな笑い声がレセプションにまで聞こえてくる。そこに集まっている男性は、その声に反応するように女性の話題で盛り上がる。
イスラムの規律の為、日常では見知らぬ男女が向き合って会話をすることはない。それが女性を男性の好奇の目から守るためだと説かれると、「そういうこともあるかも」と私は思ってしまう。そこには、異文化を頭ごなしに否定してはいけないと言う意識も介在したりする。
しかし、である。私が持っている文化からすると、正直、何か不自然な感はいがめない。繰り返すが、否定するつもりは毛頭ない。ただ、馴染めないということである。
さらに、こういった文化の違いに対して下世話な感想を漏らすのも問題かもしれないが、男性として勝手な同情を抱いたりもした。この国の男性から不満を聞いたりしたことが手伝ってのことでもあるが。
部屋を見て驚いた。
「MTVも見られるよ。」
料金交渉をしたホテルの兄ちゃんのセリフ。ちゃんと聞こえていたのだが、どうせ何かの方便だろうぐらいに思っていた。
安い部屋にテレビが付いているだけでも驚くに十分だが、実際にMTVがついた時には愕然とした。
「日本の私の部屋で見られないものが、まさかこんなところで見られるとは。」
嫉妬と羨望。
それにしても、リッキー・マーティンの曲とイスラムの部屋、外から流れ込むアザーンの組み合わせはかなりミスマッチである。
一人部屋で窓は明り取りのそれだけ。昼間でも電気がないと何も出来ないが、どうせ部屋ですることなど大したものじゃない。それよりもカメラなど金目のものを、他の旅行者より持っている私としては安心できる部屋である。
ベッドの横には礼拝のときに使うかと思われる絨毯と、肘掛とでも言おうか、直方体の枕が転がっている。
私はカソリック教徒なので礼拝をする必要はなく、早速寝転ぶ絨毯として使用した。日本人のカソリック教徒がイスラムの国で床に寝転びながら、MTVを見る。これぞグローバリゼーションの体現かなどとくだらないことを考えていて、腹が減った。
何を食べようかと思案しながら、喧騒に包まれたタハリール広場へと向かう。すっかり日も暮れ、オレンジ色の街灯に蜃気楼のように浮かび上がる人だかりの中へ入っていった。
品を手に取り、値段を交渉する客と店主。何人かで連れ立って店を冷やかして回る若者。大きな声を飛び交わす彼らの間にはベールを被った女性も見かけられ、静寂に包まれた昼の町とはまったく別の賑やかな顔を見せる。
イスラム圏全般に言えることだが、彼らの昼休みは日本のそれよりも驚くほど長い。
店や屋台など物売りは朝9時頃から商売をしているようだが、昼になると休憩に入り、仕事を再開するのは午後4時頃からである。午後の仕事のスタートが遅い分、夜も遅くまで店を開けている。だから、自然と客の繰り出す時間も遅くなる。
こんな事情を知らずに夜の人出を見れば、今日はフェスティバルかと考える人もいるだろう。
レストランに入るよりも一般的に食べられているものをと考え、屋台を覗いて歩いた。屋台と言えるかどうか。それは一輪車にガスボンベや火鉢を載せ、鍋を置いただけのものがほとんどである。
ジャガイモの店は同じ一角に何軒か連なっており、一瞬どこにするか迷うほどである。その時ふと視線を感じ、まだ10歳ぐらいかと思われる少年と目が会った。自然と彼のいる店に足を向けた。
買おうとして何か聞かれた。だが、アラビア語をほとんど解せない私は、良くない癖を発揮して「ナアム。」と頷いた。「イエス。」という意味。
一体どんな質問に頷いたのかと不安を募らせていると、小皿の隅っこにたんまりと塩が盛られて出てきた。どうやら塩がいるかと聞いていたらしい。
私の好みとしてはバターがいいのだけど、少し芯の残ったジャガイモに塩をつけて、美味しく頂いた。
この値段が10YRという安さだったことに驚き、他のものが一体どれくらいなのかという興味に取り付かれた。
そこで、ちょっとした物価調査のつもりで、街角でケバブも買ってみることにした。
オレンジ色の街灯や店から漏れてくる蛍光灯の明かりに店先のマトンが浮かび上がっている。串刺しにされ、油をにじませているそれは、ゆっくり回転して行き交う人々の食欲を誘う。そして、私もその誘いにのってみた。
バゲットに挟むのか、ホブスという丸く平たいパンに包むかの選択。バゲットのものはフランスなどでよく食べたので、ホブスにしてみた。炭焼きのマトンや野菜を挟み、ドレッシングや唐辛子をかけて20YR。やはり安い。フランスでは20フランぐらいだったか。約400円と言うことになるが、イエメンの闇に包まれて食べると、約15円。私にとってはイエメンのケバブのほうが魅力的だ。
他の誘いもあったりしたが、機内食を与えられるままに家畜のように食べてきた私の胃袋に空間は残っていなかった。
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